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●「音楽大学の入学試験のお話」 

 
 
今回は、音楽大学の作曲学科の試験に関連したお話です。

先日とある人に、こう質問されました。
「音楽大学の作曲学科の試験って何をやるのですか?」
「そもそも芸術なのだから、楽曲の良し悪しなんて、点数に出せるのですか?」と。

私にしてみれば、とても新鮮な質問でした。あーそうか、そう考えるのかと。

実際、その場で返答を少し考えたものの、これを理解して貰うには少々時間がかかるし、相手にとって、多分話が面白くないので、私は、その時はうまく濁して終わらせたわけですが、、、
これを説明するには、おそらくまず、「アーティスト」と「音楽家」との違いを理解する必要がある。

例えば、アーティストを別の言い方に置き換えると「表現者」。音楽家は、言い換えれば「職人」と言える。
おそらく、一般の人は、アーティストと音楽家を混同しているのだと私は思います。
勿論、両者は、完全に分かれている領域ではなく、アーティストでありつつ音楽家もいれば、音楽家でありつつ、アーティストとしての色合いがある人などもたくさんおられるでしょう。
しかし、大きな意味で、両者の歩みは全く違います。

アーティストは、「自分を表現することを主軸におきますが、音楽家(職人)は、誰かの依頼を元に、その依頼者の要望を具現化する、「他人」が主軸の仕事です。アーティストは、ただ自分が発信したいことだけを求め歩いていくが、職人は、人から依頼されたことを具現化するだけの技術を習得していく人生とも言える。アーティストは、極論何も勉強してなくても、その歌声や歌詞、パフォーマンスで結果的に他者を魅了できればOKだ。
がしかし、オーケストラ編曲をしろと言われたら、ほとんどのアーティストにとっては、手も足も出ないか、良くてヘンテコ(演奏家にとって迷惑という意味で)な編曲になるかだ。
一方で、音楽家(職人)に、人の心を震わせる歌詞を書け、歌を歌えと言われても、それは無理だろう。
例えば音大の声楽科を卒業したからと言って、例え技術はそこそこあっても、人を感動させられる歌を歌える訳ではない。

話は戻りますが、音楽大学の入学試験を突破して、その後学ぶことは、職人としての技術にすぎない。
その技術を高いレベルで切磋琢磨しながら学べるように、入学試験が設置されている訳です。

例えば私が卒業した音大で言えば、大量の課題をこなせるだけの基礎体力があるかどうかということだ。
(英才教育を受けてきた人間が、毎日最低8時間はかかる課題をこなさなければ終わらない課題の量でした。)
ですから、入試の課題にも、自由曲という名の課題はなく、皆一緒の「問題」を解くのです。
当然、作曲理論に関わる「和声学」という試験内容なので、試験では音符を書いて楽譜を完成させます。

そして、80点とか、95点とか、しっかりと実力の差がつくわけですね。
ちなみに私は、現役の時は全く試験勉強をしてなかったので、おそらく点数は20点とか、その辺り。1浪して、2度目の受験の際は、ほぼ満点(ほぼというのは、減点とは言い切れないが、少しよろしくない所があった)だったと、
後々(入学後)告げられました。

このように、数学や英語の試験と同じように点数化され、定員(年間約10人程度)もありますので、合格不合格が決まります。
ちなみに当時皆、20歳前後ですから、点が良かった悪かったなどど、一喜一憂しているクラスメイトもおりましたが、
実はこの点数は、あくまで基礎体力を測定する試験なので、作曲家としてのセンスや才能を図るものではないため、
この点数が良かったからといって、いい曲が作れる訳ではないことに、遅かれ早かれ皆気づいていきます。
ただ、これくらいの(入試を突破できる程度の)基礎はないと、どの道、音楽家(職人)としてやっていくのは難しいのかなと私自身は思っていたりはします。

当DTM・作曲プロフェッショナルコースは、上記の音大方式を模倣している内容なので、学ぶことも、「アーティスト」になるためのものではなく、「音楽家」になるための内容となります。
ですので、このコースを3年半かけて終了したからと言って、即大活躍!という可能性は限りなく低いでしょう。
それは、音楽大学を卒業したからといって、すぐ仕事にありつけないのと同じことです。
(別の記事での述べた通り、トップクラスの音楽大学を出ても、作曲家をその後続けてていけるのは、約5%と言われています。)
なぜなら、音楽の基礎を習得してやっとスタートラインに立てるのですから。卒業はゴールでなく、やっと入り口です。
そこから何年もかけて、少しずつ、「自分の音楽」を育てる作業が始まります。

ここからは、ある意味で、今度は逆に自分のアーティスト性を育てる作業でもあるかもしれません。
なぜなら、競争する相手は全員プロです。それなりの技術を持っている人ばかり。
そこでは優劣は決められないので、その中で、自分の作品を認めて貰い、限られた分量の仕事を奪っていく作業になる訳ですから、
大量にいるプロ作家の中に埋もれてしまわないためには、今度は、オリジナリティーやアーティスト性が重要になる訳ですね。

そして、だいたい早くて30歳前後で、運と努力がかけ合わさって、幸運にもそれなりの結果にたどり着く。
これが、一般的かと思いますし、かなり恵まれた方の例かと思います。

世の中には、10代のアーティストさんなどたくさんおられますが、上記のことを考えたら、やっとその意味(音楽家との違い)が理解できるのではないでしょうか?

これらを、一般の人が理解するのは少し難しいかもしれませんね。例えば野球のイチロー選手が活躍できた理由を一般人に問えば、
「彼には野球の才能があったから」と答えるでしょうが、ご本人はどうでしょう。きっと、大なり小なり才能はあったでしょうが、それが花開いたのは、努力あってのこと。つまり、

「才能」→「結果」ではなく、
「努力」×「多少の才能」×「継続(結局は努力)」→「結果」

という考え方が正しい気がします。

音楽家で言えば、努力によって音楽の基礎を築き、その努力の中で、自分の強み(ほんの少しの才能)を見つけて、その後何年もかけてそれを継続(磨いていく作業)して、やっと、それなりの結果にたどり着く。と言った感じでしょうか。勿論その後も、本人次第です。そこに満足してあぐらをかく人間もいれば、更に高みを目指す人もいます。

ちなみに私は、更に高みを目指す選択をし、今もその扉を開ける作業の最中です。私の場合は、自分が30歳前後でそれなりの結果に恵まれた際にこう思いました。
確かに、周りの人間より努力はしたし、なかなか大変な10年だったと。しかしそれ以上に、それをやれてこれた環境や、何より、恩師の先生方に出会えたことのおかけであることが大きい(幸運だった)と思えた。
つまりこれは、自分の実力だけはない訳で、こんなところで満足しては、せっかくプロのレベルまで引き上げていただいた先生方に対する恩返しにはならないなと思ったからです。
少し話はそれてしまいましたが、たかだか学校の入学試験一つとっても、色々なドラマがあります。そこでたまたま出会った先生が、生涯の恩師になる訳ですから、本当に不思議なものです。これも、ある意味、音楽という芸術の分野に関連していることが一つの大きな理由かもしれませんね。

散々、音楽の基礎の勉強に過ぎないと言っておきながらも、結局は、音楽。感性、人間性とは切っても切れない分野ですからね。この辺の意味を理解できてくると、
「音楽大学の作曲学科の試験って何をやるのですか?」
「そもそも芸術なのだから、楽曲の良し悪しなんて、点数に出せるのですか?」

という質問に、うまく答えられるのかもしれません。

 

●音楽大学の入学試験のお話 

今回は、音楽大学の作曲学科の試験に関連したお話です。
先日とある人に、こう質問されました。
「音楽大学の作曲学科の試験って何をやるのですか?」
「そもそも芸術なのだから、楽曲の良し悪しなんて、点数に出せるのですか?」と。
私にしてみれば、とても新鮮な質問でした。あーそうか、そう考えるのかと。

実際、その場で返答を少し考えたものの、これを理解して貰うには少々時間がかかるし、相手にとって、多分話が面白くないので、私は、その時はうまく濁して終わらせたわけですが、、、
これを説明するには、おそらくまず、「アーティスト」と「音楽家」との違いを理解する必要がある。


例えば、アーティストを別の言い方に置き換えると「表現者」。音楽家は、言い換えれば「職人」と言える。

おそらく、一般の人は、アーティストと音楽家を混同しているのだと私は思います。
勿論、両者は、完全に分かれている領域ではなく、アーティストでありつつ音楽家もいれば、音楽家でありつつ、アーティストとしての色合いがある人などもたくさんおられるでしょう。


しかし、大きな意味で、両者の歩みは全く違います。アーティストは、「自分を表現することを主軸におきますが、音楽家(職人)は、誰かの依頼を元に、その依頼者の要望を具現化する、「他人」が主軸の仕事です。アーティストは、ただ自分が発信したいことだけを求め歩いていくが、職人は、人から依頼されたことを具現化するだけの技術を習得していく人生とも言える。
アーティストは、極論何も勉強してなくても、その歌声や歌詞、パフォーマンスで結果的に他者を魅了できればOKだ。がしかし、オーケストラ編曲をしろと言われたら、ほとんどのアーティストにとっては、手も足も出ないか、良くてヘンテコ(演奏家にとって迷惑という意味で)な編曲になるかだ。


一方で、音楽家(職人)に、人の心を震わせる歌詞を書け、歌を歌えと言われても、それは無理だろう。

例えば音大の声楽科を卒業したからと言って、例え技術はそこそこあっても、人を感動させられる歌を歌える訳ではない。

話は戻りますが、音楽大学の入学試験を突破して、その後学ぶことは、職人としての技術にすぎない。

その技術を高いレベルで切磋琢磨しながら学べるように、入学試験が設置されている訳です。

例えば私が卒業した音大で言えば、大量の課題をこなせるだけの基礎体力があるかどうかということだ。
(英才教育を受けてきた人間が、毎日最低8時間はかかる課題をこなさなければ終わらない課題の量でした。)

ですから、入試の課題にも、自由曲という名の課題はなく、皆一緒の「問題」を解くのです。
当然、作曲理論に関わる「和声学」という試験内容なので、試験では音符を書いて楽譜を完成させます。

そして、80点とか、95点とか、しっかりと実力の差がつくわけですね。
ちなみに私は、現役の時は全く試験勉強をしてなかったので、おそらく点数は20点とか、その辺り。1浪して、2度目の受験の際は、ほぼ満点(ほぼというのは、減点とは言い切れないが、少しよろしくない所があった)だったと、
後々(入学後)告げられました。
 
このように、数学や英語の試験と同じように点数化され、定員(年間約10人程度)もありますので、合格不合格が決まります。
ちなみに当時皆、20歳前後ですから、点が良かった悪かったなどど、一喜一憂しているクラスメイトもおりましたが、

実はこの点数は、あくまで基礎体力を測定する試験なので、作曲家としてのセンスや才能を図るものではないため、
この点数が良かったからといって、いい曲が作れる訳ではないことに、遅かれ早かれ皆気づいていきます。

ただ、これくらいの(入試を突破できる程度の)基礎はないと、どの道、音楽家(職人)としてやっていくのは難しいのかなと私自身は思っていたりはします。

 
当DTM・作曲プロフェッショナルコースは、上記の音大方式を模倣している内容なので、学ぶことも、「アーティスト」になるためのものではなく、「音楽家」になるための内容となります。
ですので、このコースを3年半かけて終了したからと言って、即大活躍!という可能性は限りなく低いでしょう。

それは、音楽大学を卒業したからといって、すぐ仕事にありつけないのと同じことです。
(別の記事での述べた通り、トップクラスの音楽大学を出ても、作曲家をその後続けてていけるのは、約5%と言われています。)
なぜなら、音楽の基礎を習得してやっとスタートラインに立てるのですから。卒業はゴールでなく、やっと入り口です。
そこから何年もかけて、少しずつ、「自分の音楽」を育てる作業が始まります。

ここからは、ある意味で、今度は逆に自分のアーティスト性を育てる作業でもあるかもしれません。

なぜなら、競争する相手は全員プロです。それなりの技術を持っている人ばかり。そこでは優劣は決められないので、その中で、自分の作品を認めて貰い、限られた分量の仕事を奪っていく作業になる訳ですから、大量にいるプロ作家の中に埋もれてしまわないためには、今度は、オリジナリティーやアーティスト性が重要になる訳ですね。
 
そして、だいたい早くて30歳前後で、運と努力がかけ合わさって、幸運にもそれなりの結果にたどり着く。

これが、一般的かと思いますし、かなり恵まれた方の例かと思います。世の中には、10代のアーティストさんなどたくさんおられますが、上記のことを考えたら、やっとその意味(音楽家との違い)が理解できるのではないでしょうか?

これらを、一般の人が理解するのは少し難しいかもしれませんね。例えば野球のイチロー選手が活躍できた理由を一般人に問えば、
「彼には野球の才能があったから」と答えるでしょうが、ご本人はどうでしょう。きっと、大なり小なり才能はあったでしょうが、それが花開いたのは、努力あってのこと。つまり、

「才能」→「結果」ではなく、
「努力」×「多少の才能」×「継続(結局は努力)」→「結果」

という考え方が正しい気がします。

音楽家で言えば、努力によって音楽の基礎を築き、その努力の中で、自分の強み(ほんの少しの才能)を見つけて、その後何年もかけてそれを継続(磨いていく作業)して、やっと、それなりの結果にたどり着く。と言った感じでしょうか。勿論その後も、本人次第です。そこに満足してあぐらをかく人間もいれば、更に高みを目指す人もいます。

ちなみに私は、更に高みを目指す選択をし、今もその扉を開ける作業の最中です。私の場合は、自分が30歳前後でそれなりの結果に恵まれた際にこう思いました。


確かに、周りの人間より努力はしたし、なかなか大変な10年だったと。しかしそれ以上に、それをやれてこれた環境や、何より、恩師の先生方に出会えたことのおかけであることが大きい(幸運だった)と思えた。

つまりこれは、自分の実力だけはない訳で、こんなところで満足しては、せっかくプロのレベルまで引き上げていただいた先生方に対する恩返しにはならないなと思ったからです。


少し話はそれてしまいましたが、たかだか学校の入学試験一つとっても、色々なドラマがあります。そこでたまたま出会った先生が、生涯の恩師になる訳ですから、本当に不思議なものです。これも、ある意味、音楽という芸術の分野に関連していることが一つの大きな理由かもしれませんね。散々、音楽の基礎の勉強に過ぎないと言っておきながらも、結局は、音楽。感性、人間性とは切っても切れない分野ですからね。この辺の意味を理解できてくると、
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という質問に、うまく答えられるのかもしれません。
 

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