DTM作曲オンラインレッスンプロフェッションナルコースは日本全国どこからでも受講可能!完全プロ志望の人のためのDTM・作曲最強オンラインレッスンコースです。約3年半をかけて音楽理論、和声楽からDTM、ミキシングまでプロフェッショナルの作曲家に必要な知識を身に着けて、最低限、作家事務所のオーディション通過レベルを目指します。

DTM/作曲/オンライン/プロフェッショナルコース

HOME | 講師ブログ | 効率的なこと非効率なこと|DTMプロ

 

●「効率的」を目指す仕事と、「非効率」を目指す仕事

 
 
今回は、最近になって、プロを目指すと決めた生徒さんとの作曲のレッスンを通じて感じたことを綴ろうと思います。
 
私のレッスンを受講している生徒さんの中で、比較的多い割合で、20代前半でプロへの道を模索する方が多いのですが、その中でも結構な割合で出てくる言葉として、「自分はスタートが遅いので、焦っています」というセリフ。
 
それ自体はとっても共感できる。私自身も、音楽家としては決してエリートではないので、焦りは凄くあったから。でも話を進めてみると、ちょっと違うところへ着地することもしばしば。簡単に言うと、スタートが遅れていることを理由に、「基礎をすっ飛ばそうとしている」のだ。中には、「最短で結果を出せる方法を教えてくれ」と言われたこともあります。気持ちは分からないでもないが、それは「無理」だし、「無意味」だと私は思う。
 
仮に、見かけの音楽だけを徹底的に磨いて、仮に一つ二つ結果が出たとして、そんなものに価値があるのだろうか?そもそも、結果や、成果にこだわるのなら、他の仕事に就いた方が良い。なぜなら、少なからずとも、芸術という分野に入っているこの音楽の世界は、どこかに、感性、感動という数字で測れない要素が含まれており、だからこそ面白いし、だからこそ価値があるのに、そんな目先の結果や、小さな名声にこだわり、過去の偉大な音楽家の先人たちが築いて来た音楽を勉強するだけの敬意も持てない人間が、この世界に何の理由で足を踏み込んでくるのか、私には意味が分からないし、そんな人間が、他者の心に届く、素晴らしい音楽を作れるとは到底思えない。
 
すでに活躍しているプロの音楽家のほとんどは、本当に苦労してそこまでたどり着いた人がたくさんいることを忘れてはいけないし、プロになるということは、そういう人たちと近い将来互角に渡り合うということなのだから、その人たちが過去に歩んで来た道をすっとばして、同じ結果を得ることは、音楽の世界では難しいと私は考えるし、仮に運よくできても無価値である。
 
それを理解するには、まずは、一般的なお仕事と、音楽家という仕事が、ある意味で、全く違うバイアスで出来上がっていることを理解する必要がある。
ITを例にとれば、「作業の効率化」は、ほぼ全てにおいて、良いとされるかと思うが、果たして、音楽のメロディーメイクに、効率化ってあるのだろうか?効率的に何かを勉強してきた人間が書いたメロディーに、深みってあるのだろうか? そもそも効率的なメロディーに、人は本当に感動するのだろうか?
 
人間関係を例にとってみよう。人生を効率的に歩んで来た人間の言葉に、あなたは心を打たれるのだろうか?苦労もせずに、器用に生きてこられた人間の言葉に、あなたの心は共感するのだろうか?
 
私は、ある意味で、音楽や芸術は、「非効率をあえて目指す仕事」のようにも思う。遠回りしたことが、その人の作品や言葉、言い換えれば、曲や歌詞に深みを与え、人の心に届く、繊細な音楽が作れるのではないだろうか。
 
料理に例えるなら、某ハンバーガーショップ。いつ行っても美味しいし、お腹も満たされる。機械で作ってて味もブレない。まさに料理の世界では、「効率的」なビジネスの頂点かもしれない。私も好きですよ。でもね、あれはビジネスではあっても、芸術ではない。一生をかけて、あの高校生のアルバイトでも作れるハンバーガー職人を、あなたは目指したいのか?という話に近い。
 
本コースは、最低でも、3年半をかけて、音楽の「基礎」を作るコースです。更に、本コースを終了しても、生徒さんにとっての本当の戦いはその先の何十年となります。プロを目指すということはそういうことです。この先何十年の自分の一生を、自分の大事な人生をかける音楽の、たった3年半に過ぎない「基礎」を作り上げる作業さへ飛ばしたいと考えるならば、それは、人生を宝くじに委ねているのと同じではないでしょうか?
 
私が思う本コースの存在意義は、そういった、一部、世の中で蔓延っている、「音楽家=宝くじ(運や才能)」ではなく、当たり前の努力によって、当たり前のように、一つ一つ、階段を登っていける、そんな音楽家、作曲家を育てることです。
なので、このコースは、そう行った意味では、「効率的」というよりは、結果を急がず、基礎をじっくり築き上げるという意味で「非効率」なのかもしれません。
 
しかしながらどうでしょう? 世の中には、「急がば回れ」という格言があるように、その回り道が、後々のスピードアップもしくは、最大速度の大幅な増加に繋がることを、見落としてはいけません。F1レースで、スタートダッシュはかろうじて切れたものの、結局、途中で次々と抜かれる結果って、悲しいではないですか。 世の中的には、効率を重視しろという風潮があるようにも思いますし、それは、音楽家だって、ある部分においてはそうでしょう。でも、一番大切で、音楽家としての技術、能力の根幹である、「音楽の基礎」に対しては、絶対に、手を抜いてはいけません。
少ない面積の土台の上に、大きなものは積み上げられないのは、いつの時代も、どの世界においても、同じであると考える方が、賢い人間ではないかと私は考えます。焦る気持ちはよく分かりますが、どうか胸に手を当てて、自分に問うてみて下さい。
 
自分はどんな音楽家になりたいのか?
 
そしてそれは、同時に、 自分はどんな人間(人生)でありたいのか? ということでもあります。きっと、あなたの心の中にある、将来への不安や、自分への自信の無さが、本来のあなたの判断を狂わせようとしているはずです。でも、そんなものに負けていては、作曲家など到底やってはいけませんよ!なぜなら、作曲家は、いつだって、自分のメロディー、自分の音楽、自分のセンスのみで勝負する仕事なのですから、自分自身を信用できなければ、何も始まりません。
 

●「効率的」を目指す仕事と
「非効率」を目指す仕事

 
 
今回は、最近になって、プロを目指すと決めた生徒さんとの作曲のレッスンを通じて感じたことを綴ろうと思います。
 
私のレッスンを受講している生徒さんの中で、比較的多い割合で、20代前半でプロへの道を模索する方が多いのですが、その中でも結構な割合で出てくる言葉として、「自分はスタートが遅いので、焦っています」というセリフ。
 
それ自体はとっても共感できる。私自身も、音楽家としては決してエリートではないので、焦りは凄くあったから。でも話を進めてみると、ちょっと違うところへ着地することもしばしば。簡単に言うと、スタートが遅れていることを理由に、「基礎をすっ飛ばそうとしている」のだ。中には、「最短で結果を出せる方法を教えてくれ」と言われたこともあります。気持ちは分からないでもないが、それは「無理」だし、「無意味」だと私は思う。
 
仮に、見かけの音楽だけを徹底的に磨いて、仮に一つ二つ結果が出たとして、そんなものに価値があるのだろうか?そもそも、結果や、成果にこだわるのなら、他の仕事に就いた方が良い。なぜなら、少なからずとも、芸術という分野に入っているこの音楽の世界は、どこかに、感性、感動という数字で測れない要素が含まれており、だからこそ面白いし、だからこそ価値があるのに、そんな目先の結果や、小さな名声にこだわり、過去の偉大な音楽家の先人たちが築いて来た音楽を勉強するだけの敬意も持てない人間が、この世界に何の理由で足を踏み込んでくるのか、私には意味が分からないし、そんな人間が、他者の心に届く、素晴らしい音楽を作れるとは到底思えない。
 
すでに活躍しているプロの音楽家のほとんどは、本当に苦労してそこまでたどり着いた人がたくさんいることを忘れてはいけないし、プロになるということは、そういう人たちと近い将来互角に渡り合うということなのだから、その人たちが過去に歩んで来た道をすっとばして、同じ結果を得ることは、音楽の世界では難しいと私は考えるし、仮に運よくできても無価値である。
 
それを理解するには、まずは、一般的なお仕事と、音楽家という仕事が、ある意味で、全く違うバイアスで出来上がっていることを理解する必要がある。
ITを例にとれば、「作業の効率化」は、ほぼ全てにおいて、良いとされるかと思うが、果たして、音楽のメロディーメイクに、効率化ってあるのだろうか?効率的に何かを勉強してきた人間が書いたメロディーに、深みってあるのだろうか? そもそも効率的なメロディーに、人は本当に感動するのだろうか?
 
人間関係を例にとってみよう。人生を効率的に歩んで来た人間の言葉に、あなたは心を打たれるのだろうか?苦労もせずに、器用に生きてこられた人間の言葉に、あなたの心は共感するのだろうか?
 
私は、ある意味で、音楽や芸術は、「非効率をあえて目指す仕事」のようにも思う。遠回りしたことが、その人の作品や言葉、言い換えれば、曲や歌詞に深みを与え、人の心に届く、繊細な音楽が作れるのではないだろうか。
 
料理に例えるなら、某ハンバーガーショップ。いつ行っても美味しいし、お腹も満たされる。機械で作ってて味もブレない。まさに料理の世界では、「効率的」なビジネスの頂点かもしれない。私も好きですよ。でもね、あれはビジネスではあっても、芸術ではない。一生をかけて、あの高校生のアルバイトでも作れるハンバーガー職人を、あなたは目指したいのか?という話に近い。
 
本コースは、最低でも、3年半をかけて、音楽の「基礎」を作るコースです。更に、本コースを終了しても、生徒さんにとっての本当の戦いはその先の何十年となります。プロを目指すということはそういうことです。この先何十年の自分の一生を、自分の大事な人生をかける音楽の、たった3年半に過ぎない「基礎」を作り上げる作業さへ飛ばしたいと考えるならば、それは、人生を宝くじに委ねているのと同じではないでしょうか?
 
私が思う本コースの存在意義は、そういった、一部、世の中で蔓延っている、「音楽家=宝くじ(運や才能)」ではなく、当たり前の努力によって、当たり前のように、一つ一つ、階段を登っていける、そんな音楽家、作曲家を育てることです。
なので、このコースは、そう行った意味では、「効率的」というよりは、結果を急がず、基礎をじっくり築き上げるという意味で「非効率」なのかもしれません。
 
しかしながらどうでしょう? 世の中には、「急がば回れ」という格言があるように、その回り道が、後々のスピードアップもしくは、最大速度の大幅な増加に繋がることを、見落としてはいけません。F1レースで、スタートダッシュはかろうじて切れたものの、結局、途中で次々と抜かれる結果って、悲しいではないですか。 世の中的には、効率を重視しろという風潮があるようにも思いますし、それは、音楽家だって、ある部分においてはそうでしょう。でも、一番大切で、音楽家としての技術、能力の根幹である、「音楽の基礎」に対しては、絶対に、手を抜いてはいけません。
少ない面積の土台の上に、大きなものは積み上げられないのは、いつの時代も、どの世界においても、同じであると考える方が、賢い人間ではないかと私は考えます。焦る気持ちはよく分かりますが、どうか胸に手を当てて、自分に問うてみて下さい。
 
自分はどんな音楽家になりたいのか?
 
そしてそれは、同時に、 自分はどんな人間(人生)でありたいのか? ということでもあります。きっと、あなたの心の中にある、将来への不安や、自分への自信の無さが、本来のあなたの判断を狂わせようとしているはずです。でも、そんなものに負けていては、作曲家など到底やってはいけませんよ!なぜなら、作曲家は、いつだって、自分のメロディー、自分の音楽、自分のセンスのみで勝負する仕事なのですから、自分自身を信用できなければ、何も始まりません。
 

講師作品紹介

ミライ/JUJU
 ミライ
JUJU
あなたに会えなくなって/ヒカリ | Kiroro
あなたに会えなくなって / ヒカリ
Kiroro
アリアケノツキ/Uru
アリアケノツキ
Uru
まばゆい君へ/大竹しのぶ
 
まばゆい君へ
大竹しのぶ
娘より/Uru
娘より
Uru
 
ホントは、ね/Uru
ホントは、ね
Uru
春雪/JUJU
春雪
JUJU
forget-me-not/Flower

forget-me-not
Flower
初恋/中島美嘉

初恋
中島美嘉
恋/中島愛


中島愛
ミライ/JUJU
 ミライ
JUJU
あなたに会えなくなって/ヒカリ | Kiroro
あなたに会えなくなって / ヒカリ
Kiroro
アリアケノツキ/Uru
アリアケノツキ
Uru
まばゆい君へ/大竹しのぶ
 
まばゆい君へ
大竹しのぶ
娘より/Uru
娘より
Uru
 
ホントは、ね/Uru
ホントは、ね
Uru
春雪/JUJU
春雪
JUJU
forget-me-not/Flower

forget-me-not
Flower
初恋/中島美嘉

初恋
中島美嘉
恋/中島愛


中島愛